2010年05月26日

小津安二郎「東京物語」。

最近、一日中雨の日が多かったので、
家でけっこう映画をみていた。
そのなかの一本、小津安二郎の「東京物語」は、
何度見ても、じんわりと胸にせまる映画です。

ストーリーは、尾道に暮らす年老いた両親が、
東京で暮らす子供たちを訪ねる物語。
長男、長女それぞれが開業医、美容院をしていて
せっかく来たのに、時間がなとれなくて、どこにも連れて行けないと嘆く。
父親は、物干にぼんやりすわったりして時間をつぶしている。
そしてしまいには、熱海へ行ったらいいだろうといわれ、
若者たちが夜遅くまでどんちゃん騒ぎをする旅館で
眠れない夜を過ごし、また東京へ戻ってくる。

そんななか、ひとり、8年前に戦死した次男の嫁であり
独身を続けている紀子が、仕事を休んだりして、
二人の面倒を快く引き受ける。
いまはもう縁が切れて他人も同然なのだが
この人だけがやさしく両親をもてなし、
上京した両親は、その時間がいちばん楽しかったと話す。

昔見たときは、せっかく上京してくる両親を
子供たちがあまり世話もしないで白状だ!冷たい!と思ったものだが、
この歳になると、家族なんてそんなものかとも思ったりもする。
親はいろいろ子供たちに我慢しとたり遠慮している一方、
子供たちはいろいろ、わがままを言ったり、許してもらったりする。
それが、家族というもの、家族だからこそできるのだと思う。
言いたい放題の杉村春子役のおばさんだって
親戚のなかには同じような人が一人ぐらいはいる。

そこいくと、次男の元嫁だけが他人であり、
つねに他人行儀で、気を使っている。
家族の外にいるからこそ、いつも気に使ってしまう。
家族だったら、そんな気を使うことはない。そこが悲しい。

ところで、田舎の両親が上京してくるというシチュエーションは
東京暮らしをしている人たちにとっては、
ほとんどの人が体験していること。
そこで、子供たちがどう時間をとって面倒をみるか。。。
墓に布団はかぶせられない、というセリフが響いた。


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2010年05月16日

地人になった宮澤賢治。

毎年、明治から昭和初期の日本近代文学を中心に
1〜2人の作家を集中して読むようにしているが
夏目漱石、志賀直哉、芥川龍之介、堀辰雄ときて、
今年は宮澤賢治をほぼ読破した。

実は去年あたりから自分のなかでは、
読まねば!という強迫観念が起こってきて
広告コンペなどでも、宮沢賢治をモチーフにした
アイディア案も出していたが、
あっさり返り討ちにあっていたこともあったのだ♪

宮澤賢治は、イーハトーブォの自然を歩き、
山、動物、鳥、鉱石・・・などさまざまなものと交感した。
透き通った風を感じ、樹液が脈打つことまで感じた。
地中から遥か天空まで澄んだ瞳で見通した。
詩や童話によって幻想的な世界を描き、
みんなの幸福を願う法華経仏教を語った。
みんなが幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。
そう信じていた。

中学ぐらいで「永訣の朝」を授業で習い
なんとも悲しい気持ちになったのを覚えているが
今回あらためて全作品を読んでわかったのは
いろんな作品が何度も推敲を重ねられて、
まさに終わりの見えない「永遠の未完成」だったということだ。

「風の又三郎」には「風野又三郎」という前作があって
風の精が南太平洋からベーリング海まで動き回るという
大循環の風を感じさせるダイナミックな作品だった。
今回読むまでそんな「風野又三郎」があるとは知らず、
ふがいないばかりだ。

「銀河鉄道の夜」も、カンパネルラが去った後に現れる
やさしいセロのような声のした青白い顔のやせた大人が出てくる
初期型のほうが個人的には好きだ。
(眠れない夜によく聴いている岸田今日子の朗読CDは
こちらの初期型+書き出し部分の「午後の授業」「活版所」「家」が
加わった形で録音されている)


ところで、宮澤賢治は、実家は裕福な質屋で
いつも貧農の人たちが金を借りにくることに心をいためていた。
そんな家業を営む絶対的な父親とつねに対立していた。
「春と修羅」で「自分を修羅なのだ!」と言い切ったのは
帝釈天である父親と対立している自分を
修羅と重ね合わせた部分もあったと思う。

そして、父親との食い違いから大正十年一月、家出同然に上京。
しかし八月に妹トシ病気の知らせを受けて、
東京で書きためたトランクいっぱいの童話を持って花巻に帰っている。
亡くなる前に妹トシの「今度生まれてくるときは、
自分のことばかりに苦しまないように生まれてくる。
もっと人のためにつくせる人間として生まれてきたい」
という言葉を聴いたという。

この言葉で、いっそう農民の役に立ちたいと決心したのだと思う。
宮澤賢治は、最後は農民になろうとしている。
農林学校の教師を退任した後、羅須地人協会をつくり、
「地人」として肥料設計や農業指導にあたった。
生徒に立派な農民になれと口だけで言っていた自分がいやになり
自分も本当の農民なる道を選んだ。
裕福なブルジョア階級から下降する意識を持った。

今の自分にとって、読んでいていちばん共感したのは
そんな自分の裕福な家から離れ「地人」として独居自炊し、
みんなにデクノボーといわれながらも
飢饉にあえぐ東北地方の農業の発展に尽くして生きたことだ。
まさに人生そのものが、グスコーブドリの
ブドリそのままの自己犠牲の晩年だった。

幸福のカノン/さねよしいさ子
http://www.youtube.com/watch?v=J-QiouU5riM&feature=related

宮沢賢。.jpg

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2010年05月10日

ゲゲゲの深大寺。

昨日は、バスを乗り継いで深大寺へ行ってみた。
周辺は鬱蒼とした森に包まれ、
門前には「深大寺そば」の店が何軒も続いている。
水車を構えた風情ある店も多く、すごくいい雰囲気だ。

境内には珍しいナンジャモンジャの木がちょうど白い花を咲かせ
その下でミニオーケストラ演奏会が行われていた。
ところで深大寺の名前の由来は
深沙(じんじゃ)大王という水神に由来しているらしい。
そういえば、泉が湧いてあちこちに池ができ
そのきれいな水でそばも名物になったんだろう。
元三大師堂前の木の元には、
魔除けとしても知られる元三大師の石像も置かれている。

門を出てしばらく歩くと、なにやら凄い人だかりのする一軒があり、
近づいてみると「鬼太郎茶屋」なるものがあった。
いま調布は、NHKの連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で
鬼太郎がちょっとした盛り上がりを見せているのだ。
(じつはオイラもドラマは欠かさず見ています♪)

屋根には鬼太郎の下駄が置いてあったり
壁には巨大な絵が描かれ、
木の枝には鬼太郎の小屋まで作られている。
店内には、鬼太郎のちゃんちゃこをはじめ、
目玉のおやじや猫娘、一反木綿、
ネズミ男たちのキャラクターグッズがいっぱい。
とくに気になったのは、鬼太郎カレーだった。
で、その前の茶屋で「深大寺ビール」を飲んで帰ってきた。
また紅葉の季節や、イベントのあるときに足を運んでみたいと思った。

〈写真 深大寺本堂/ミニコンサートの様子/魔除けの元三大師石像/
等身大なのか?フィギュア/鬼太郎と目玉おやじの小屋/深大寺ビール〉

本堂.jpgコンサート.jpg石像.jpg鬼太郎ねずみ.jpg小屋.jpg深ビール.jpg
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2010年05月04日

町工場友人&天龍会。

GWは遠くにも行かず、近所をぶらぶらしております。
5/2は久々に吉祥寺へ。
サンロード、井の頭公園へ続く道など、いつにもまして凄い人。
そして駅ビル、ロンロンはアトレへと改装工事中。。
なんとなくロンロンが消えるのは寂しいものがある。
伊勢丹もなくなっていた。

5/3は、関東在住の天龍村民3人による寄り合い、天龍会。
一人が武蔵境からでている盲腸線・西武多摩川線の是政で
独立起業して会社をかまえているので、事務所/製造現場を訪問。
社内は携帯電話や通信機器、コンピュータに関連した
基盤、チップ(?)、シールドなど、夥しい部品の数。
アメトーークの町工場芸人を思い出してしまった。
とても、オイラにはわからない世界だ。

その後、武蔵境へ出て、沖縄料理店で飲む。
久しぶりに会ったもう一人は、30年ぶりぐらいになる。
昔からブルースリーに刺激されてヌンチャクを振ったり
モデルガンやガンベルトなどを持っていた人だったが
いまは会社員の傍ら、「天龍武術会」なる組織をたちあげ
カンフーの師匠になっているという。
小さい頃からの熱い魂とスタイルは変わっていない。
〈写真 西武多摩川線/是政駅/多摩川と府中街道/
会社ビル/友人〉

マイバックページ/YO-KING
http://www.youtube.com/watch?v=ARrp3ZPM6oY&feature=related

多摩川線.jpg是政駅.jpg府中街道.jpgビル.jpg敏仰.jpg敏一.jpg
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